大手製造業にとどまらず、情報通信企業やコンサルティングファームからも関心を寄せられている手法として、「デザイン・シンキング」が注目を集めています。

従来の新商品や新サービスの開発には、技術や市場性などの「データ」からのアプローチが採用されてきました。
この手法では、論理的に事業展開することが可能ですが、「イノベーション」とも呼べるほどの新しさが生まれにくいという指摘があります。

一方の「デザイン・シンキング」とは、「人」と「もの」との関係を起点としてアプローチをする集団思考法で、より不確実な未来を見据える、または、専門的に未知の分野に踏み込むような場合に有用であるといわれています。

ここでは、2017年7月のJ-EXCEEDで取り扱う「デザイン・シンキング」について、講師である石黒猛氏(石黒猛デザイン事務所 代表)に、「デザイン・シンキング」とは何か、その有用性を、同氏の「デザインに対する哲学」と併せてお話をお伺いいたしました。

人間の「本質」から新しいものが作られる社会とは?

JMA:本日は、石黒猛事務所 代表の石黒猛様に、「デザイン・シンキング」とは何か、をお伺いしたいと思います。まず、石黒さまの職業や経歴についてお伺いさせてください。

石黒氏:私の職業は、「工業デザイナー」です。日本の高専(高等専門学校)を卒業した後、海外でのインターンシップを経験しました。ヨーロッパのさまざまな国を訪問していくなかで、自分の圧倒的な勉強不足を痛感しました。日本に帰って就職をする予定でしたが、もう少しヨーロッパで勉強したい、自分自身のなかでのデザインや新しいものを作るための考え方を発展させたい、それをもって社会に貢献したい、という考えが芽生え、ヨーロッパで勉強することにしました。ベルギーや英国など、ヨーロッパには5年ほど滞在したと思います。

JMA:ヨーロッパでの滞在中に、強く印象に残っていることは何でしょうか。

石黒氏:私がヨーロッパに渡った時期は、日本ではバブル経済が崩壊する頃でした。日本がすごく浮かれていた時代です。そんな時期にヨーロッパへ行き、最も強く感じたのは、文化にしろ、学問、風習などあらゆることが無理のない形で残っていることでした。千年単位の古い建物が改装されながら、今も残っています。教会の影響力がまだ健在で、秋になると日曜日は店が開かないなど、文化として宗教観も古いものが大事にされています。人間としての生き方の本質といえばいいのでしょうか、大切なものとそうでないものを分ける判断基準が、お金や商業的なもの以外にたくさんありました。そこからいろいろなものが新たに生まれているように感じたのです。

JMA:そこに日本との大きな違いを感じたのですね。

石黒氏:そうです。「日本はどうなのか」と考えた場合、第二次世界大戦で大きく価値観が変化したように感じます。一部では伝統や文化が大切にされていますが、その当時の社会の趨勢は、「大量生産」「大量消費」という言葉が主流のように感じていました。どこに本質があるのか分からず、根無し草のようになってしまっていたのではないでしょうか。

JMA:なるほど

石黒氏:デザイン分野では各造形表現においては事由に表現できるのでさまざまな表現が許されると思うのですが、本当に人のためになる本質的な考えを根っこなしで創れるかといえば、ちょっと難しいと思いました。じっくりと腰を据え、本質をベースに新しいものを作ることとはどういうものか、興味がわいてきたのです。

ビル・モグリッジ氏との出会いからIDEOへ

JMA:英国の学校はいかがでしたか?

石黒氏:私が在籍したのは、ロンドンのRoyal College of Art(RCA)という大学院大学ですが、素晴らしいところで、今現在でも世界で1番のデザイン学校といわれているところです。当時は1学年に学生が13人、今はもう少し増えているようですが、そこに個人指導に当たる教員のチューターや技術サポートを含め、30人ぐらいのスタッフが勤めています。機材も使うし、サポート体制も素晴らしいものがありました。学生は英国人が4分の1から3分の1ぐらい、あとはヨーロッパ各国や米国、アジアから来た外国人です。すごくクリエイティブな刺激をたくさん受けました。

JMA:単純な比較は難しいかもしれませんが、日本と英国の学校では、どちらが大変でしたか?

石黒氏:やはり英国ですね。ビザの関係もあり、働くことができなかったのですが、何より課題をこなすので精一杯でした。数も多かったですし、何より質が大変でした。求められるレベルが本当に高く、他の学生もすごいレベルのものを仕上げてきます。競い合っていました。

JMA:IDEO社に勤務することになった経緯は、どのようなものでしたか?

石黒氏:英国の学校の卒業制作展が大々的に開催されたとき、多くの著名な方や企業の方が見に来られて名刺交換させていただきました。その中の1人にもう亡くなりましたが、ビル・モグリッジさんというファウンダーの人がいて、その方にポートフォリオ(作品集)を求められたのがきっかけです。

JMA:以前からIDEOという会社はご存知でしたか?

石黒氏:英国の学校でも、何度も講演会をしていましたから、知っていました。その後、いろいろとオリエンテーションも拝見しました。ある程度は理解していたつもりです。

JMA:石黒さんの選択肢の中に、IDEO以外はありましたか?

石黒氏:アジアの食器会社や欧州のデザイン事務所からも声をかけていただきましたが、教授に相談をしたところ、体制面も考えるとIDEOがいいのではないか、との結論に達しました。

自分の限界を超える、未来を見据えるための「デザイン・シンキング」

JMA:IDEOにご勤務されたのは、1996年からですよね。最初に訪れたときのことを覚えていますか?

石黒氏:面接が1回ではだめな会社で、最低3カ所は支店を回らないといけない決まりがありました。
まずロンドンで面接し、次にサンフランシスコ、3回目が近郊のパロ・アルトという場所でした。プロジェクトが多岐にわたっていて、それぞれの専門家がそれぞれの能力で今まで見たことのない物をオフィス各所で展開しているのに触れて、傍目には何をやっているのかよく分からなかったのですが、とても刺激的な空間でした。

JMA:当時のIDEOには、従業員が何人ぐらいいましたか。

石黒氏:今よりはるかに小さくて、180人とか200人だったと思います。

JMA:IDEOには、当時から、「デザイン・シンキング」という言葉はありましたか。

石黒氏:私は入ったころはまだ3社合併して間もない時期でしたから、プロダクト開発の延長線上として位置付けられていた一つの手法として位置付けられていたあまり主要な手法ではなかったと思います。しかししばらくしてその重要性を認識してその的中率を上げるためにさまざまなプロセスが確立し、現在に至るような形になっていったのだと思います。

JMA:「デザイン・シンキング」という表現は、誰かが主張し始めたものなのでしょうか、それともIDEOにおいて自然発生的に出てきたものなのでしょうか。

石黒氏:私がふれた「デザイン・シンキング」で言えば、後者ですね。デザインという未知の領域に踏み込むためにはどうしたら良いか、その為のパーツがちょっとずつできてきて、完成している感じでした。何か研究したいというと、時間をくれる会社でしたから、その中で出来てきたものではないでしょうか。

JMA:とすると、石黒さんが考えるデザイン・シンキングとはどういうものなのでしょうか。今と昔では考え方が異なっている部分もあると思いますが、サンフランシスコで働いている当時は、どんな感じだったのですか。

石黒氏:英国の学校で教わった個々人の能力から行う発想法からの流れもあったのですが、デザインはもう少し人間的な作業で作り上げたいと考えていました。ですから、当時は、あまり重視していませんでした。システマチックに発想法を変えることも正直、快く思っていませんでした。

JMA:当時の石黒さんが思うデザインは、個人の中から出てくるものだったのですか。サッカーに例えるならば、1人のファンタジスタがゲームを作り上げるみたいな感じでしょうか。

石黒氏:はい、そうです。

JMA:その一方にチームとしてのデザインがあり、当時の石黒さんにはフィットしなかったのですね。

石黒氏:会社に入ってしばらくはそこまで複雑な仕事をしていませんでしたから、やってみるまではそう思っていました。その後、より複雑なプロジェクトを担当するようになり、自分の限界を超えたとき、このプロセスのありがたさが分かってきました。簡単な仕事ならこういったプロセスを踏まえずにこなせるケースが多いのですが、より不確実な未来を見据えたり、専門的に未知の分野に踏み込むような仕事に接した時、初めてその有用性を理解しました。

【第1回はここまで】

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